Aiko Miyawaki

                                      © EIICHIRO SAKATA

宮脇愛子について

1929年東京都生。幼少期は特に病弱で学校に通うことが困難だった時期も。1952年日本女子大学文学部史学科卒業。学生時代は日本美術・桃山文化を研究していた。1953年文化学院美術科に学び、阿部展也、斎藤義重に師事。後に出会った美術評論家の瀧口修造のすすめで、1959年よりイタリアミラノ住み油絵を制作、作家活動をはじめる。フォンタナ、カステラーニ、ハンス・リヒターなど多くの作家と交流し、パリのマン・レイのアトリエに頻繁に通うようになり、影響を受ける。1966年頃から、真鍮パイプを積み重ねる作品を制作し、グッゲンハイム美術館で買上賞を受賞。1980年より代表作となるステンレスワイヤーによる“うつろひ”を世界各地に設置。晩年まで精力的に多くの平面作品、ドローイングを創作し続けた。2014年死去。

美術家としての出発  宮脇愛子

阿部展也先生と出会ったのはまだ学生の頃でした。私の元の義理の姉が阿部先生と親しかったんです。神谷信子っていう

画家なのですが、当時彼女すごく活躍してましてね。神谷葡萄酒にお嫁に行ったんですが戦争で未亡人となりました。

神谷信子さんは国文科の出身で、西鶴の研究をしていました。私が学生時代に結婚して、義理の姉になった訳ですが、

そうなるずっと前からつきあいがありました。彼女は高円寺に住んでいました。その前は彼女久我山にいたんですけどね。

絵描きさんの溜り場みたいでしたね。

彼女は最初『美術文化』にいました。戦後できたシュルレアリスムの集団ですけど。はじめ岡本太郎もいたことがあった

のよね。

結局、齋藤義重先生や阿部先生との出会いは、すべて神谷さんの紹介によるものでしたね。親戚のなかで絵描きはひとりでたくさんだっていう感じでしたので、私はこっそり絵を描いてたわけです。発表なんてするつもりないんですけど好きだから、自分の部屋の戸を閉めて描いてたわけです。それを神谷さんは知っていたから、齋藤先生とかに紹介してくださったのね。ですけどなにしろ、絵描きはお金が出ていくばっかりで….って。

神谷さんは頭のいい人でしたから、話が大変おもしろかったですね。戦後は知らない人はなかったくらいの人でした。

私がこそこそ描いてて、発表するなんて夢にも思ってなかったころですけどね。

齋藤先生がたまたま遊びにいらして、「絵というのは、人が見ることを意識して自分でも見ないとだめだ」ってことをとくとく説いてくださったの。つまり実際に外に出してみないと、客観性は生まれないってことですね。それは非常に

重要なことだと教えられました。そういうことがありまして、養清堂画廊で発表する気になったんです。

へそまがりでしたから、絵なんて発表するもんじゃない、なんて偉そうに言ってたんですよ。ですからプロフェッショナルな絵描きになるなんて夢にも考えずに絵を描いていましたね。

今考えてみると、恩人はいっぱいいらしゃる。例えば齋藤先生の一言。

その時初めて、絵は自分だけで描いているものじゃなくて、発表しなきゃいけないんだって思ったんですよ。だから略歴には齋藤先生に師事って必ず書くんです。実際に手を取って教わったわけではないんですけれど。

それから瀧口修造先生がイタリーに行けっておっしゃったことも大きかったわね。あの時は絵なんて持って行くつもりなかったのに、イタリー行くんだったらあなたの絵はピッタリですよ、なんておっしゃって。それでわざわざジェノヴァかなんかに送ったんですよ、大きな絵を。それを大橋コレクションの大橋嘉一さんが展覧会にみえてひとつ買われたんですよ。その作品が現在、国立国際美術館に入ってます。 

阿部先生の所に行くと、美術出版社の上甲ミドリさんを始め、新潮社の山崎省三さんとか、朝日新聞の矢野純一さんとか、

漆原英子さん河合オサムさんとか絵描きさんもいろいろな人が出入りしていました。山口勝弘さんもいたんじゃないでしょうか。

ジャーナリストが多かったようですけど。阿部先生の所は研究所というのではなく、大きなアトリエがありました。

先生は非常に前衛的な考えの人でして、アメリカの美術を日本に最初に紹介したのも阿部先生です。他に情報が何も無かたときですから、大変面白かった。ロバート・マザウェル、マーク・トビー、ジャクソン・ポロック、アーシル・ゴーキー、いわゆる戦後アメリカ美術がふんだんに入っているの。新鮮で大変刺激的でした。

              

                                  

宮脇愛子 ドキュメント 美術出版社より抜粋

略歴

1953 阿部展也、斎藤義重に師事

1959~66ミラノ、パリ、ニューヨーク、他世界各地滞在展覧会を開催

1959 個展[養清堂画廊](東京)

1962 個展 [東京画廊](東京)

1967 グッゲンハイム国際彫刻展(ニューヨーク) 買上賞受賞

1970 個展[ウッチ近代美術館](ポーランド)

1981 第2回ヘンリー・ムーア大賞展[箱根 彫刻の森美術館](神奈川)エミリオ・グレコ特別優秀賞受賞

1982 第8回神戸須磨離宮公園現代彫刻展(兵庫) 第1回土方定一賞受賞

1986 第2回東京野外現代彫刻展[世田谷・砧公園](東京)東京都知事賞受賞

1990 個展[ギャラリー・アール・デファンス](パリ)

1991 個展[ミロ美術館](バルセロナ)

1992 1992年度 カタロニア美術評論家賞受賞(バルセロナ)

1998 個展[神奈川県立近代美術館](神奈川)

1999 第7回日本現代藝術振興賞受賞

2003 フランス政府より芸術文化勲章オフィシエ受賞

BIOGRAPHY

1952 Graduated from Japan Women’ s College

1953 Received personal instruction from Nobuya Abe and Yoshishige Saito

1959-66 Stayed in Milano, Paris and New York

1959 Solo Exhibition. Youseido Gallery, Tokyo

1962 Solo Exhibition. Tokyo Gallery, Tokyo

1967 Received Purchase Award Guggenheim International Sculpture from20 Nation Solomon R. Guggenheim Museum New York U.S.A.

1970 Solo Exhibition. Museum Stuki, Lotzi, Poland.

1981 "2nd Henry Moore Grand Prize Exhibition" Hakone Open-air Museum, Hakone ("Uturohi" awarded Prize for Excellence)

1982 "8th Exhibition of Contemporary Sculputure" Suma Palace Park Kobe, Japan (awarded first Teiichi Hijikata Memorial Prize)

1986 "2nd Tokyo Open-air Contemporary Sculpture Exhibition". Kinuta Park, Setagaya (awarded the Tokyo Prefectural Governor's Prize)

1990 Solo Exhibition. Galerie Art Défense Paris. France

1991 Solo Exhibition. Mirô Foundation. Barcelona. Spain

1992 awarded la Associaciô Catalana de Critics d'Art 1992

1998 Solo Exhibition,The Museum of Modern Art, Kamakura

2000 award for innovation in Japanese contemporary art from Japan Arts Foundation

2003 award for L'Ordre des Arts et des Lettres